top of page

円立寺について

お寺の歴史

 当山の創建は元和五年(1619)八月で、開山は宝乗院日要上人といわれ、上人は慶安四年(1651)十一月七日に遷化しました。

 はじめは、熱田本遠寺の第十三世日近上人が開基した旗屋町の新本遠寺塔頭で、円立坊と称されていました。ところが、延宝三年(1675)に新本遠寺が廃寺となったため、愛知郡高針村へ移転して、同年十二月南小川町妙蓮寺の末寺となりました。

 延宝六年、さらに中区古渡町に移り、中正山円立寺と改称しました。宝暦十一年(1761)再建し、本尊に法華経題目宝塔並びに十界仏像を安置しました。第十七世本理院日地上人は、大正十五年十一月に大修復の工を起こし、翌十六年末に完成して内外の面目を一新しました。

 第十八世高山院日顕上人は、寺門経営に、檀信徒の教化にと尽力し、山門は隆盛を極めるに至りましたが、昭和二十年三月十二日の米軍大空襲にあい、一切が灰塵に帰してしまいました。昭和二十三年に日顕上人が、老齢のため退住すると、第十九世遠珠院日祥上人がその法燈を継承し、昭和二十六年に本堂兼庫裡一棟を建立しました。

 以来三十年、寺院としての環境は悪化し、建物も荒廃してきたため、昭和五十四年十二月、現在の地(昭和区妙見町)へ本堂兼庫裡を移転・新築し、現在に至っております。

60F77EC4-6588-4041-8303-F975746C95AF.jpe
bottom of page